板倉 陽一
はじめまして、板倉です。
妻 闘病記
*実際に妻が書いたものを転載しています
娘が1歳になった年、2005年の11月のことでした。
右手の「人指し指」第2関節が、痛みとともに腫れ上がりました。
日頃から家事以外にも、パソコンや裁縫をしていたので、この症状は「腱鞘炎だなぁ」というほど。
痛みがあるとはいえ、軽視してしまえるものでした。
しかし程なくして、左手「人指し指」も同様に。
そこから半月ほどして、右手首が痛みで動かなくなりました。
それでもまだ「腱鞘炎」を信じて疑わなかった私は、病院へは行かず、痛む場所に湿布をし、動かないように包帯で固定して過ごしていました。
年が明け、2月ごろになると両手首が痛むようになり、腫れは全く引かず、そのうちに痛みはすぐ激痛へと変わりました。
3月ごろ娘が風邪をひき、近所の内科・小児科へ行くことに。
娘の治療のついでに医師に患部を見せ、軽く話しをすると、「血液検査をしましょうか?」
結果は1週間後に、ということだったのですが、次の日病院より、「すぐに来てください。」との連絡が。
「気になったので至急扱いで検査の依頼をしました。板倉さん、リウマチの疑いがあります。
紹介状を出しますから、早めに大学病院で専門の治療を受けてください。」
この診断は、「リウマチ」という名前も知らなかった私にとって、何が何だかさっぱり分からず、ただ、「腱鞘炎ではないんだ。」ということと、
「大変なことになっているのか?」という不安だけが残りました。
これが、私とリウマチとの最初の出会いです。
大学病院での検査の結果、それは疑いではなく「関節リウマチ」に間違いはありませんでした。
初めはごく少量の痛み止めから開始し、程なくしてそこに少量のステロイドが加わりました。
しかし、リウマチの進行は思った以上に早く、薬が増えていくのも、また「日常生活」が奪われていくのも、そう時間はかかりませんでした。
手指、手首だけだった患部はいつの間にか手全体へ広がり、朝のひどいこわばりと激痛に悩むようになりました。
そして、その症状は足首、つま先、膝、肩、肘、首、顎関節へと広がっていきました。
幸いにして、たった1箇所「股関節」だけは症状は出ませんでしたが、それ以外の主な関節は全て炎症と腫れと痛みが続きました。
気がつけば6月になっていました。
この頃は連日の痛みで食欲も落ち、1日の3分の2を「寝たきり」状態で過ごすようになりました。
ただ「寝たきり」といっても、全身の痛みで寝返りすら打てず、眠ることも出来ないという、正確には、「横になってじっとしている」ということです。
薬が効いて痛みが軽くなるわずかな時間を使って、体を引きずりながら、ほんの少しの家事をこなすのがやっとという日々でした。
朝から激痛とこわばりで、体を動かすことも出来ません。
例えばトイレですが、恥ずかしい話し、自力でトイレに行くことが出来ないのです。
衣類の脱ぎ着も、便座に座らせてもらうことも、トイレットペーパーを手で巻き取ることも、想像を絶する激痛を伴います。
拭き取ることも、あまりの激痛から、腕も手先も怖くて曲げられないのです。
ドアノブもつかめません。
ドアの開閉も1人では出来ないのです。
情けなくて、くやしくて、涙が出ました。
体も心も激痛です。
・立ち上がる
・歩く
・顔を洗う
・ブラシで髪をとく
・着替えをする
・食事をする・・・
日常生活の何気ない行動一つ、自力で出来なくなったとき、「絶望」の意味を知りました。
薬が効いているであろう時間も、必ずどこかに痛みがつきまといます。
「生き地獄ってあるんだな。」そんなことを思いました。
誕生日も過ぎ、秋になっていました。
薬が効いている時間を使って、リウマチを調べつくしました。
しかし、「病院の投薬治療」以外に、激痛と不安から解放を指すものはほとんどありませんでした。
治療薬も、当時の私には副作用等の恐怖や、不必要な知恵等が頭の中をゴチャゴチャにしていて、
医師が抗リウマチ薬へのステップアップを勧めてくださっても、素直に信用することが出来ずにいました。
その頃には、激痛、腫れ、炎症のほかに、「関節がロックされる」という症状が加わっていました。
毎日、手が「ジャンケンのグー」から固定されたまま全く開かなくなりました。
肘や膝も、曲げたり伸ばした状態のまま固定され、無理に動かそうとすればやはり激痛です。
いよいよ本当に何も出来なくなりました。
それでも毎日はやってきます。
日常の家事も、家族の世話も、すぐ目の前にあるのです。
本当にここまでだろうか?
「生き地獄」だの「絶望」だのに浸ってる場合ではない。
「これは私の体だ。もう一度自由になりたい。」
発症から1年が過ぎていました。
この時、初めて正面から「リウマチと向き合う」ことが出来たのだと思います。
夫はその頃、「整体師」としての技力に悩んでいたようです。
当時の夫の施術は、いわゆる「押す、揉む」系のごく一般的なものでした。
きっと普段なら気持ちよく受けられたと思います。
しかし、申し訳ないことに、リウマチ発症後の炎症による痛みと腫れでぐったりの、筋肉も使われずに弱りきった私の体には、
あまりにもそれは苦痛で、とても耐えられるものではありませんでした。
ある日夫が、どこからか覚えてきた技術を施してくれました。
「グー」のままロックされた指にです。
1つ1つの指に、大した力を使わずに、ただじっと何かをしています。
しばらくして指が1本、少し開きました。
痛み無く開くことは、発症以来初めてのことでした。
なぜ開いたのかは当時はさっぱり分かりませんでしたが、とにかく嬉しかったです。
その施術をしばらく続けてくれました。
仕事が終わるとすぐ家に戻り、私のやり残した家事や育児を済ませ、施術をしてくれました。
しばらくして、手指が少しずつ動くようになりました。
それからまたしばらくして、手は完全に開き、それ以来指がロックされることはなくなりました。
希望が見えました。
そして色々考えました。
発症以来、私は自分の体に対し、まだ何もしていないのではないか?
投薬治療をしてくれる医師や、支えてくれる家族に全てまかせっきりでいいのだろうか?
自分でも改善の努力をしなければ。
投薬は悪化後の小康状態だったこともあり、相談の結果、すぐにステップアップしないかわりに、
体質改善の効果を見たいと思い、漢方薬も取り入れることにしました。
生活習慣の見直しのため、漢方医の勧めもあって、マクロビオティックも始めました。(1年ほど)
毎日早寝早起きをし、体調の良い日は少しずつでも体を動かすようにしました。
冷たい飲み物や寒い場所を極力避け、常に体を温めるよう心がけました。
夫は毎日、必要な施術をしてくれました。
施術の効果がすぐに出る患部と、とても時間のかかる患部とありますが、日々黙々と施術をしてくれました。
その結果、検査でのリウマチ因子や炎症反応の数値は、月をおうごとに改善に向かいました。
ロックされる肘や膝も少しずつその回数が減り、
しばらくして、それは「軽い違和感程度」にまで落ち着き、再び自由に曲げ伸ばしが出来るようになりました。
痛みで布団が触れることも苦であった肩も、施術の回数を重ねるたびに少しずつ痛みが緩和していきました。
「痛みを感じない施術」は、リウマチでいっぱいいっぱいの体にとって、安心そのものになりました。
そして夫は、施術とは別に、自分で出来る施術を教えてくれました。
とても簡単なことだったので、痛みが気になったり、時間が空くたびに、自分でもケアが出来るようになりました。
全身にあった痛みや腫れは徐々に減り、その結果、薬の量も自然に減っていきました。
*1日の薬の使用量(ステロイド4mg 2009年12月現在)
リウマチ発症から今年(2009年)の11月で5年目に入りました。
現在、リウマチ因子、炎症反応ともに大した問題ではなくなりましたが、
リウマチという病気は良い時と悪い時を繰り返すもので、今でも時々軽い数値の悪化は見られますが、それも短期間で落ち着きを取り戻すまでに改善しています。
この状態を少しでも長く続かせる為にも、投薬治療とは別に、日常のケアが必要なのだと痛感しています。
リウマチという病気一つとっても、私以上にもっともっとつらい思いをされている方は、本当にたくさんいらっしゃると思います。
たくさんの方が、たくさんのつらい思いを抱えてがんばっていることを思うと、他人事とは思えません。
皆様の一日も早い「改善」と「笑顔」を心よりお祈り申し上げます。
2009年11月
【追記】
2010年11月、2人目の子供を無事出産いたしました。
妊娠前、妊娠中もリウマチの悪化は無く、自然分娩で出産することができました。
心配していた出産後の状態ですが、睡眠不足などからくる疲労はあるものの、今のところ関節に異常は見られず、一生懸命育児をしております。
最後に、数多くの方から応援のお声をいただきましたこと、この場を借りてお礼申し上げます。
ありがとうございました。
【追々記】
2017年現在、リウマチを発症したときに1歳だった長女も今年中学1年生。
次女も小学1年生になりました。
この間、関節の変形などもなく、日々、子育てに忙しい毎日を送っています。